定期航空の新紀元 台湾大飛行成功 1931/10/5

予定より一時間早く

我国航空界に新紀元を画する長距離定期航空路開拓の意味で多大の期待をもって迎えられていた日本航空輸送会社の内地台湾間連絡試験飛行第一日陸上機飛行は四日実施された。この日九州から那覇までは曇り、那覇から台湾までは快晴という天候。

出発地大刀洗飛行場では三発動機装備の使用機フォッカー七型BBFO機を早暁から場に引き出し逓信、拓務両大臣から太田台湾総督あてのメッセーヂおよび本社メッセーヂ大朝紙(大阪朝日新聞)百部その他多数郵便物の積込等一切の準備を終り機長の小川⚫︎⚫︎一等飛行士操縦、大森航空士、鈴木機関士、村島通信士乗組み午前五時五十七分勇ましく出発。

一路南にコースをとって途中無電連絡をとりつつ午後零時五十五分には早くも宮古島上空を通過。

順調な飛行を続け、大刀洗・台北間千五百キロメートルを予定よりも約一時間早く九時間二十分にして見事飛行。午後三時十七分台湾の官民大歓迎の中に台北飛行場に到着した旨空輸本社に入電があった。同機は民間機として最初の台湾入りをしたわけであるが、所要時間九時間二十分は驚異的記録であり同航空路の将来を祝福したものである。

第二日の水上はドルニエ・ワル型飛行艇に藤本艇長以下乗組み五日福岡名島水上飛行場発で実施される。又両機は台湾においつ各地訪問飛行を行い九、十両日台湾発帰還飛行の予定である。

三日の大朝が四日に台湾へ

【台北特電】四日の内台連絡試験飛行のフォッカー機で空輸された三日付大阪朝日新聞市内版は半時間以内に台北市官民名士百余名に寄贈配達されたが、従来三日間を要した新聞が僅か一日で見ることが出来、多大の感動を與えた。

又内地郵便二千八百通も着陸後一時間以内に台北市内に特配され、大阪からのすしも出迎えた官民に御馳走されたが、前日大阪で出来たすしを翌日台湾で食べるなど夢のようだと一同大喜びで舌鼓をうった。

⚫︎は判読不明文字

※東京朝日新聞昭和六年十月五日朝刊

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