【広島電話】九日夕方広島県厳島町の路上に、霜降り学生服にリュックサックの少年が倒れていた。この少年は樺太散江郡散江村字遠内大泊中学二年生木村正雄(一六)といい、いまだ見ぬ母を尋ねて唯一人九州まで漂い行くものと判った。
◇・・・正雄少年はジーニというアイヌ人の子供とのみ思い込んで十六の歳まで過ごして来たが、この春学校である手続きの際、戸籍謄本を見るとジーニ夫妻は育ての親で、本籍は小樽、父は木村留吉、母はとしといい、十数年前一家が樺太に移住し出稼ぎ中父は出漁中しけで溺死し
◇・・・母親は幼い正雄をジーニ夫妻に預けたまま内地に帰り岡山市のある遊廓で清香と名乗って娼妓をしていると聞き、仏壇の箱に入れてあった若い頃の母の写真まで見せられたので、今年の暑中休暇に二十円の旅費と二ヶ月分の食糧をもらって母の写真を懐中に七月一日樺太を立ち、はるばる岡山までを鉄道線路伝いに歩きつづけ十月初めにたどり着いたが、尋ねる母親は八ヶ月ほど前に九州八幡市の某楼へ住みかえしたとのことだった。
◇・・・旅費は使い果たし岡山で流浪するうち、篤志家から二円の旅費をもらって厳島までの切符を買い八日厳島にたどり着いたが、空腹のため行き倒れていたもので、厳島署でも大いに同情し、八幡署へ照会したが十日朝同署から「調べたがわからぬ」と返電があり目下厳島署で保護中である。
しかし母の行方がいよいよわからねば樺太に送り返すより外あるまいといっている。
※東京朝日新聞昭和六年十月十日朝刊

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