【奉天三十日発電通至急報】開原鉄嶺東方柴家溝清河溝氾家溝一体の鮮人部落(住民約四百名)へ二十九日王以哲の部下敗残兵三四千名来襲し鮮人の大虐殺と掠奪をなしつつあり、勢力猛烈支那公安隊は撃退され日本警官隊も危険で近寄れぬため状況は判明せぬが三十日朝八果樹付近で発見された死体のみで三十名を越えている同地鮮人は「もし出兵なくどうせ死ぬなら戦って死ぬ」と悲痛な叫びをあげている。これがため鉄嶺居留民代表は三十日午後一時半奉天に着奉し本庄関東軍司令官に対し出兵の陳情をなし我が軍司令部では鮮人の危険を救援するため直ちに出兵の準備に着手した。
【奉天三十日発電通至急報】既報八果樹付近における支那敗残兵の鮮人虐殺の報告に接し関東軍司令部にてはとりあえず午後五時一個中隊を奉天より現地に急派したがその後同方面より避難し来れる鮮人の談によれば支那兵に虐殺された者三百以上に達し、なお盛んに虐殺されつつあり支那兵は二三千名に上る見込みなので我軍の勢力不足を⚫︎り午後長春より歩兵一個大隊騎兵砲兵を加えて出動した。明朝は飛行隊出動参加し敵の残兵を徹底的に掃討することとなった。
⚫︎は判読不明文字
※東京朝日新聞昭和六年十月一日

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