学良氏下野の外なし 昭和六年九月二十八日

新政権樹立はほとんど決定的

満洲事変の突発により東北四省の盟主張学良氏は北平に在りて時局収拾の望みなく南京政府と連絡をとり、閻錫山、馮玉祥両氏等に通電を発し挙国一致的活動の提唱をなし援助をもとめ活路を見出さんとしているが、奉天を中心に全満洲にわたり主権の活動が中止状態に陥り混乱しているので奉天市民は無論、支那人は学良氏に再起の依頼を繋がずむしろ後継政権の樹立を希望し、すで実行運動に移っている事実に徴し学良氏等新派にすこぶる反感を抱く旧派をめぐる有像無像を始め失脚して機会を狙っていた閻、馮両氏今後の活動、東北四省を狙う石友三、張相昌等自選他選の政権⚫︎者は暗中飛躍を始めているから結局張学良氏に取って代わる政権樹立は時日の問題と見られているが我政府としては外交交渉の相手は張学良氏を第一義とし交渉開始の時機を待つことは軍部、外務一致し学良氏の起つまでは現状維持のまま静観する方針であるから新政権樹立を見ても直にこれを承認するかどうか列国との関係もあるので⚫︎かに予断を許さぬがいよいよ張学良氏の失脚下野が実現し満洲に新政権が樹立されたる場合は南京政府、広東政府等支那全土に影響し重大問題となる可能性が十分包まれているだけに、満洲新政権樹立後における支那政局の推移は相当注目されている。なお北平で善後策に焦りつつある学良氏は現在の情勢から見て奉天に留まるわけには行かぬので結局北平に落ち着くことになるが、手兵十万を握っているものの京津地方に蟠居することは馮閻幹⚫︎⚫︎氏等四囲から不平起こり北平に落ち着くことは到底許されない情勢にあるので学良氏は結局下野のやむなきに至るものと見られている。

⚫︎は判読不明文字

※讀賣新聞昭和六年九月二十八日

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