満洲事変

満洲事変

陸軍三長官会議で対満方針決定す 懸案を一挙に解決 1931/10/9

満洲事変の軍事行動も一段落を告げたので陸軍としては枢密院方面の要望もあり速やかに政府としての善後処置を決定すべしとの意見を抱持していたが八日閣議前に若槻首相は南陸相に対し陸軍側の態度を明示してもらいたいとの要求があったのでかねて陸軍省参謀...
満洲事変

鬼畜も泣かん 残兵惨虐の跡 追討の重松支隊報告 1931/10/7

【奉天六日発電通】鉄嶺開原東方各地で鮮人虐殺をなしつつあった北大営敗残兵討伐のため三十日夕刻長春より出動した重松支隊は約百里に亘る行動をなして六日奉天に帰還し重松支隊長は同日午後林軍司令官に状況を報告したが右の報告によって鬼畜も三舎を避け...
満洲事変

学良氏、孤立無援を歎き 遂に下野外遊を表明 1931/10/7

名実共に王座を滑る日も近く 懊悩を紛らすは只阿片の毒気 【北平六日発電通】張学良氏は彼の地に重大変化の免れ難きを知るや逸早く閻、馮両氏に使者を送り一切の行がかりを水に流し国家民族の為めという触れ出しにして北方の大同団結を提議したが何...
満洲事変

正に悪鬼の如き敗残兵の振舞い 1931/10/7

妊娠中の妻の惨殺の様を涙にくれ夫君語る 【奉天特派員五日発】開原から海龍にわたる一帯は北大営を追われた王以哲軍敗残兵の悪鬼の如き振舞いに数千名の朝鮮農民は略奪、放火大暴行を受け数百名の虐殺をさえ見るに至ったがその惨害は日本人にも及び...
満洲事変

遣外艦隊に待機命令 1931/10/6

国民政府の責任回避に備え 海相・万全策を取る 支那揚子江沿岸地方の反日運動の事態に鑑み、安保海相は四日佐世保軍港の第二十四駆逐隊を急派したが、五日の閣議におかあて安保海相は最近の情報を詳細報告し対策講究の必要を説いた結果政府は別項の...
満洲事変

悪逆旧軍憲を斥け 新楽土の建設を望む 関東軍司令官の声明 昭和六年十月五日

【奉天特派員四日発】関東軍司令部は四日午前十時満洲事変に関し日本軍の取るべき今後の重要態度を表明せる全文次の如き声明書を公表した。 北大営駐屯歩兵第七旅は旅長王以哲の率いる張学良直系軍中の最精鋭部隊としてその威名東北四省に振いたり。...
満洲事変

敗残兵暴虐の禍根 満洲軍憲を一掃 我が軍断然積極行動 昭和六年十月四日

【奉天三日発電通】北大営敗残兵の朝鮮人虐殺暴行は日につれて明瞭となり三日までの虐殺朝鮮人は少なくも六、七百名に及ぶ有様なので本庄軍司令官以下関東軍首脳部の激怒は甚だしく遂にあくまでこれを全滅すること並びにかかる種類の軍憲政権の存在は人道上...
満洲事変

宣統帝を擁立し 独立運動急転せん 昭和六年十月四日

【奉天特派員三日発】張学良氏は事実上東三省に対する政権を失い日本との円満交渉いよいよ困難にして張氏の復活は到底不可能なることを周囲の情勢より漸次明白となってきたので、これまで張学良氏の奉天復帰を気遣いためらう色ありし満蒙独立国建設計画者並...
満洲事変

共和、帝政の両派 はしなくも対立 満蒙独立計画書の興味 昭和六年十月三日

【奉天特派員二日発】吉林の𤏁洽、ハルビンの張景恵両氏の独立に引き続き、洮南の張海鵬も又一日遂に独立の宣言を発し、黒龍江省及び熱河省政府湯玉麟、コロンバイル蒙古青年党の独立もまた目前の間に迫った。かくて満蒙各地は一斉に独立を宣することとなり...
満洲事変

奥地の朝鮮人特に保護せよ 昭和六年十月三日

南陸相本庄司令官に訓電 満蒙における朝鮮人の虐殺、略奪等が支那土賊の横行により頻々と発生するに対し、陸軍ではこれら虐げられている在満朝鮮人の保護について万遺憾なきを期するため二日陸相の名を以て本庄司令官に左の訓電を発した。しかして奥...
タイトルとURLをコピーしました