日支兵衝突の跡を訪ねて 昭和六年九月二十一日

死体累々たる酸鼻!北大営の激戦をしのぶ 奉天にて二十日廣瀬特派員発

日支両軍激戦の中心地であった北大営を訪ねる。営門はおよそ一小隊な我兵によって警戒され絶対に営内に入らせずうっかり立って居ると射殺すると脅かされ漸くのこと旅団本部の許可を得て余は直ちに第二大隊高柳中尉に伴われて営内にいる。三千メートルに一千五百メートルの大練兵場には諸所に軍馬や支那兵の死体が散在して居る。柳の並木を隔てて立ち並ぶ兵舎は、十八日深夜から十九日未明にかけ我軍から浴びせた大砲や手榴弾が命中して兵舎な屋根という屋根はすっかり崩れ落ち、壁や窓には無数の弾痕がいかに当時の衝突が激しかったかを物語って居る。高柳中尉は、

「十九日未明の激戦では私の中隊であった谷川上等兵が戦死した。その跡を弔ってやって下さい」

い」

と言って兵舎の横手野菜畑に案内し、黒土に大きくにじみ込んだ血の跡を指して、

「始めここで敵弾を受けアッと声をあげました。私は「傷は浅いから大丈夫、弾はあるか」と呼びましたがその時上等兵は「弾はあります、御安心下さい」と言ったかと思うと五歩後にすさって遂にここで最後を遂げました」

と言って前方の血痕から約一間程後の赤黒い血のにじんだところを示した、そして中尉は静かに脱帽して勇ましい霊を弔った。余は更に歩を転じて破壊された兵舎内に入って見た。何というか酸鼻の極だろう。口から血を吐いたままうつ向けに死体となっているもの、銃を持ち弾をこめたままの姿勢で倒れているもの、逃げ惑いつつ折り重なって我手榴弾に撃たれたらしい死体の山、一間もある塀によじ上って勇敢にも我軍に射撃されたと思われる状態で壁際に打ち倒れた兵、軍帽の散乱、佩剣の山、軍服の四散せる有様等十八日深更の戦闘が如何に猛烈だったかが想像し得られる。また営内至るところに未発の弾薬が散乱し危険この上もない。時々自然発火のため轟然たる大音声を挙げることしばしばである。高柳中尉の話で、特に兵舎の便所をのぞいたが驚いたことには未発銃が山のように積んで支那兵は当時便所窓から我軍に応射して悩ましたという。本営には我が占領の大隊司令部が置かれ、今多数の苦力を使って死体の処理、戦利品の始末をしている。

※東京朝日新聞昭和六年九月二十一日朝刊

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