雨が降ると外套がなくて戦争が出来ぬ 少年と爺さんが入交ってオイッチニ 儲けとなると却々強い
今度の日支間の衝突は最近腰のない外交から極度に日本を甘く見た結果だが、さて、その衝突相手の奉天軍とは、どんな軍隊かーーー
張学良氏が全支那に誇っている精鋭には相違ない。若い将校には日本の士官学校や陸軍大学で勉強した者がかなりいるが、日本の士官学校を出て帰るとすぐ大佐になれる程度だから他の隊長の兵学の程度は知れる訳で謂わば馬賊の親方だ。奉天の第一師長なぞは未だ三十三歳で中将になっている日本出来の若将軍である。兵隊の銃は日本の三八式で機関銃も大部分は和製だ。元来が、この兵隊達は傭い兵で、苦力や食詰め者を集めた軍隊だから、十七、八の小僧と四十五六歳の爺さんとが列んでイー・アルと二挙動で鉄砲を担ぐ稽古をしている。服装は何も灰色の小倉服に日本の真似をした襟章を付けているが、外套がないから雨降りには戦争が出来ない。靴は支那靴やゴム靴でまちまちな隊が多い。平常食糧は日本のように炊事班はなく、日給十八銭位で自炊をやるから、うどん粉をこねて油で焼いた焼麩が主食で夏なぞは胡瓜なぞを噛っている。普通の兵隊を斥候に出すとどこかへ逃げて鉄砲を売ってしまうから斥候に出る兵隊は特別兵で日給が高い。年中行事の内乱で戦争は強く指揮官も用兵作戦など却々味なところを見せるがもともと戦争の概念が国家本位ではない。利益本位に動く軍隊で各国から「砂的軍隊」の名を頂戴している。ところがこの砂的軍隊が利益という水を掛けられると素晴らしい団結を見せて奇襲逆襲などガッチリした戦争振りを見せる。
このコツを知る指揮官は常に利益と迷信で煽動する。かつて済南事変の時済南城を奪回のため二十数回にわたって勇猛な逆襲を敢行して我軍を苦しめたが後になって調べると指揮官が兵卒全部に弾丸除けのお守りを渡して「これを肌に着けて置けば弾丸は絶対に命中せぬ」と煽て、勝てば掠奪、暴行は自由だ••••••というような口車に乗せられて団結したものだ。
これと反対に「こりゃ敵わぬ」と見れば立ち所に恥も外聞もなく降参する、独断で隊を離れて逃走して馬賊や土匪の群に投じたりする。今度の事変もその兆しは日支関係のもつれが深くなった昨年あたりから殊に甚だしく「日本は日露戦争以後大した戦争はしないが、我軍は年中行事で経験があるしいつでも来い」と事ごとに日本を侮辱していたが最近では「日本を恐れることはない。戦争しても勝つ。日本は財政逼迫から実弾などは撃てぬはずだ」というような支那式宣伝で徹底的に無智な軍隊を煽動していた事実など衝突の誘因となったものであると。
讀賣新聞昭和六年九月二十日朝刊

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