「万歳」の声も涙に 誉れの遺骨故山へ

南陸相以下関係者参列し 上野駅頭の礼拝式

△•••南嶺、寛城子戦の戦死者ーー仙台歩兵第四連隊熊川少尉以下二十九名、工兵第二大隊一名、独立守備隊二名、都合三十二名の名誉の戦死者の遺骨は五つの白木の箱に分納され、聯隊旗手足原少尉他二十二名の戦友に護られて、十一日午前五時四十分東京駅着、駅頭には周山近衛師団参謀長、参謀本部各部長、近衛第一両師団の将卒、在郷軍人約七百名が出迎え、近衛一連隊の宮城県出身者より成る「青葉会」の下士卒三十名の手により直ちに省電で上野駅に運ばれた。

△•••同駅特別室に安置された勇士の遺骨は在満の本庄関東軍司令官、多門第二団長、内田満鉄総裁その他から贈られた花環と新たに南陸相、金谷参謀総長等よりの花環に埋められ狭い部屋に溢れて部屋の外にも飾られた。
同駅着後間もなく各隊代表、在郷軍人分会代表、一般有志の礼拝ひきも切らず、やがて弔旗を掲げて市内外の陸海軍在郷軍人五百名は通路に整列、憲兵隊の整理の中を白川大将、菱刈大将、金谷参謀総長、林東京警備司令官等相続いて参集、前第二師団長で勇士に関係深い赤井大将が感慨深げだ。その間に河井皇后宮大夫、川岸侍従武官等も見える。

△•••陸軍士官、幼年各学校生徒一同が静かに規則だって礼拝し去った後に、道重増上寺大僧上、山下浄土宗⚫︎長等約十名の内に、悲壮の気重く、遺骨前の大香炉からは紫煙がもうもうと漂う。
午前九時五分南陸相が厳粛な面持ちで現れ、足原少尉以下に「御苦労」と声をかけた後脱帽して暫し黙祷が済んで遺骨は第一ホームの仙台行列車特別二等車に運ばれる。

△•••その時、勇士の一人新国六三伍長の兄、代助氏が弟の骨を市外梅島町の自宅に迎えたいと申し出て一人白布に包まれた骨壷を受け取りうなだれつつホームに進む。かくて九時二十分陸相以下約二千有余名の挙手の礼に見送られ一路仙台へと滑り出した。後方ホームから「万歳!」が叫ばれる。この春四月、同じ「万歳」に送られて満洲に向かった諸勇士が変わり果てて今帰隊する時この叫びは一入(ひとしお)の悲壮感を深めた。

今日仙台で慰霊祭

【仙台電話】上野駅を立った戦死者の遺骨は十一日午後四時三十八分仙台駅に到着した。駅ホームには安田留守司令、湯澤宮城県知事、渋谷仙台市長、以下多数の官民中小学生等出迎え、遺骨は一時駅貴賓室に安置して後、儀仗兵に護られ二台の砲車に乗せて榴ヶ岡聯隊に向かい、午後六時半から同将校集会所で法要が営まれた。
十二日午前十時から追回練兵場で第二師団宮城県聯合による最後の慰霊祭が行われる。

⚫︎判読不明文字

※東京朝日新聞昭和六年十月十二日朝刊

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