此処かしこに死屍累々 惨!北大営占領の跡 昭和六年九月二十一日

支那軍にも此の勇士◯◯一営長の最期 二十日奉天にて 土岐特派員発

今回の奉天事件において我軍の攻撃に対し東北兵が最も頑強に抵抗した北大営の戦闘は相当の激戦であったが余(土岐特派員)はその戦況を視察すべく二十日午前十時大北門を経て北大営に向かった。城北の東北無線電信所の前を過ぎる時、昨日炎焼した前方の北大営からはなお盛んに白煙が上がっていた。楊柳の並木道から兵営の正門に入れば傍に流弾に斃れた馬丁風の死骸ひとつが転がっている。更に営内の一隅には二三十の死体が横たわり軍馬の死骸にまじって我等の胸を打つ。燃え残った兵舎からはなお盛んに火煙をあげ臭気耐えがたきものがある。西側の第六二二団の営舎を見れば無数の手榴弾小銃等が散乱し、時に灰燼の中からパンパンと破裂するので危険この上なく警戒の兵士から注意を受ける。営舎の黒煉瓦の外壁は機関銃のために蜂の巣の如く弾丸が命中していて関る悽惨の気を感じる。砲弾のあたった営舎は全く原型を留めず営庭に落ちた所には大きさ一間大の大穴をあけている。完全な営舎の内壁には青赤等の伝単がペタペタと貼られているがその中に打倒帝国主義なぞ寧ろ陳腐で「看よ!営舎西辺に鉄道あるを!」とやってあるのを見ると十八日夜満鉄本線の破壊を企てた北大営支那兵の日頃の心事が読まれる。半壊した賄所内には三つの死屍が横たわり、その間に豚肉、野菜等が散乱して真っ黒に蝿がたかって目もあてられない状態である。司令部の建物付近では最も盛んに応戦さた由でその付近にも二三十の死体が横たわっていた。一便所内の空気孔からの応射は相当我軍を悩ましたものの如く此処にも五六の死体が横たわっていたが守備隊士官の話によれば第六二五団兵士の抵抗は最も頑強で部下がバタバタ斃れる中に一営長自ら銃をとって最後まで応射していたが、我兵士が室内に突入するや同営長は自らピストンを持って自殺した由で敵ながら天晴れな行為であったと。

※讀賣新聞昭和六年九月二十一日朝刊

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